寺垣家は、農業と職業欄に書けるようになったのは、

まだ 記憶に新しい。

 

岩代梅林と呼ばれている場所に

西岩代パイロット と呼ばれる畑があります。

その畑を所有する事ができて

やっと 農業と名乗れるようになった。

 

その畑の工事中に

オリルショックがあり

当時のゼネコンさん達は

工事を止めてしまって

進めなくなった事があった。

 

それでも地元の 孫請けの会社が 諦めずに

日本全国に走り回って 工面してくれたお蔭で

工事が止まらずに 進める事ができた

そんな先代達の熱い情熱を 肌で感じながら

私達は 大きくなった。

 

その時に支えてくれた

孫請けの会社のお祝いの会に

なぜか 私も 父のかわりに

12年ぶりに呼んでもらった。

今私は、答えが出ない悩みに 悶々としている

痛めた歩けない足を引きずりながらも

この会に参加している。

 

それにも  何か意味があるのだろう・・・・。

そう思いながら 参加している。

 

できあがった 畑は こちら