三島のお土産に 鰻を母に届けると

懐かしいなぁ〜と

私が子供の頃に三島に通っていた頃の話をしてくれた。

 

 

昭和43年から3年間、

当時、まだ珍しい新幹線に乗せて貰い

二ヶ月に1度、三島に通っていたと、、、。

一回行くと 約10日間旅館に泊まって

足の治療をしていたと

私は、全く記憶にない。

 

でも、不思議だ?

私の子供の頃は、めっちゃ貧乏で

村の子供達と遊んでいると

 

あそこの貧乏人の子と遊んだらアカンと

遊び相手のお友達のおばあさんが

引き離しにくる程

貧乏だった記憶だけはある。(笑)

 

そんな我家に、当時にしては、

まだまだ珍しい新幹線に乗って

それも旅館に宿泊しながら通っていたなんて

とても考えられない状況なので

 

その費用は、どうしたの?と母に聞いた。

 

お父さんが親戚中に頭を下げて

用意してくれた。と

 

和歌山から出た事が無い母も

まだまだ歩けない小さな子供を連れて

大変な旅だっただろうに、、、。

 

今の私でさへ、

乗り換えが分からず

ウロウロしてしまうのに (涙)

 

ヘビーカーなど無いので

私をおんぶして 風呂敷に荷物をいれて

前と後ろ両肩に荷物を持って通っていたと

何とも胸がいっぱいになった。

 

お正月のお餅をどうしょう?と

心配する程の我家なのに、、、。

 

何も知らない私は、

大人達の選択ミスで

私の足は治らなくなったと

小さい頃から思いこんでいた。

 

どれだけ愛情をかけてくれていたか

この歳になってやっとわかった。(涙)

 

三島駅の記念撮影をしていたら

その写真の中に ベビーカーを押しながら歩いている

母子が写っていた。

不思議な事もあるもんだ。

 

親戚中の皆さんに応援して頂きながら

今の私の身体がある事、

改めて、こうして生かしてくださった命だと

教えて頂く旅となった。

 

旅から帰り

今は亡き、お父ちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん

弟達に 謝りにお墓に行った。

 

恨んでいた事が、

一瞬で、感謝に変わった。

 

生きている間に、

知ることが出来てほんまに

良かった。

 

桜の花が

笑っているように 見えた。

 

三島に行く事が無かったら

そんな事に気がつく事も無く

 

一生を終えていただろう、、、。

 

 

あることがたし